アズマ工業での業務の傍ら、手編み箒を作るようになった渥原さん。
彼が手編み箒に魅了されていくまでの過程、今何を学び、これからどんな箒を作りたいのかを取材しました。

さて今回は、渥原さんが箒職人を目指す前のお話です。幼いころから何かを作ったり研究したりするのが好きだったのかと思いきや…。

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―ものづくりに熱中するのは、人生で初めてかも。

今はこんなに箒やほうき草作りに夢中になっていますが、これまでの人生ではものづくりにこんなに一生懸命になったことはありません。

前職は、ディスカウントストアの店長でした。
アズマ工業に入社して、製造部というところで働くうちたまたま箒担当になり、手編み箒に出会いました。
小さい頃にものづくりに熱中していた覚えは全然ないですね。プラモデルすら作らなかったです。

昔からずっと続けてきた趣味というのもなくて…。箒を作り始める前は、釣りに行くことがありましたが、最近は行かなくなりましたね。
今は休みの日はもっぱら、箒作り。それか、庭の手入れをしています。37歳ですが、おじいちゃんみたいな趣味だと言われます(笑)。

箒作りにこんなに夢中になったのは自分でも少し意外でしたが、よくよく考えてみれば、代々ものづくりをしている家系に生まれました。
親父は春華堂(※)、じいちゃんは家でお菓子屋さん、その前の曾祖父は家で鍛冶屋をしていました。
箒作りにこれだけ熱心に取り組んでいるのは「血」かもしれませんね。

箒を作っていると、無心になれる。楽しいです。

何も知らずに手編み箒作りを始めているので、編むたびに発見があります。
毎回、編むたびに、編み込みの位置やバランス、掃き心地が違います。同じ編み方をしても、同じものはできないのが面白いんです!
作って技術を身に着けるほど、見本にしている箒から学び取れることも増えていきます。ここはこうなっているんだ、じゃあ次またやってみよう!と、次の箒を作りたいという気持ちが湧いてきます。

楽しいって思えることは良いですよね。


今回は渥原さんのバックボーンや箒作りに出会う前のことを聞きました。
次回も引き続き渥原さんへのインタビューをお届けします。

※春華堂:浜松市のお土産として有名な「うなぎパイ」をはじめ、洋菓子、和菓子を生産・販売している静岡県浜松市のメーカー。