広く世の中を見渡せば、次から次へと様々な商品やサービスが生み出され、改良され、そして淘汰されているにもかかわらず、江戸時代に生まれた座敷箒が今も使われ続けていることに、時折ふしぎな気持ちになることがあります。

日本以外でも使ってもらえないかと、無謀にもアメリカなどに輸出することを検討したことがあったのですがあえなく玉砕し、それならばとアジア圏に触手を伸ばし、これも見事に沈没。
「座敷箒の良さがわからんとは」などと憤慨したのを覚えています。

座敷箒が生まれた背景には畳の普及があります。
武家社会の上流階級でのみ使用されていた畳が、商人の台頭とともに市井の人々に使われるようになると、従来の箒(棕櫚箒)ではうまく掃けないという問題が生じました。

そこに登場したのが座敷箒です。
畳の目に吸い付くように穂先が入り込み、汚れやほこりを掃き出す快感は、現代の私たちが想像する以上に画期的なものだったと思われます。
そこから一気に座敷箒が広がり、現在に至っています。

フローリングが普及し、畳が身近な存在とは必ずしも言えない現状ではありますが、さりとて畳に“なつかしさや慈しみ”を感じる日本人のDNAと同じように、座敷箒にも日本人の心が脈々と受け継がれているのかなと思ったりもします。

座敷箒を通じて、日本人が大切にしてきた世界観を少しでも感じていただければ・・・
などと思っています。