東海道五十三次 濱松・冬枯ノ図のほうき再現プロジェクト」をお読みになった方はご存知かと思いますが、2015年弊社が箒草栽培を約50年ぶりに日本で行うにあたって、JA様の多大な協力を得ました。

 

一方、そのノウハウをしっかり習得しなければと、実はJA様と取り組んだ内容を異なる畑で実践しておりました。
それがほとんど日の目を見ることがなかった春野の畑です。
浜松市街から車で1時間にところにある山間の小さな畑。
これが私の箒草栽培の原点です。

 

 

歳をとると、友人が増えることはなかなかありません。
不思議な縁ですが、私には当時70代の友人が、しかも親友とも言える友人がおりました(今も3か月に1回はお会いしていて、つい先日も『生まれて初めてピッカピッカの80代になりました』とのこと)。

 

「畑で箒草を作りたい」と言ったところ、「山下さんがやりたいのであればいいよ」と二人で拓いたのが春野の畑です。

草ぼうぼうの土地を耕し肥料をまき、熱射病になりながらも雑草を取り除き、多分今までで一番上手に箒草を仕上げました。
ところが収穫間近に猪にやられ、すべてがパーとなりましたが。

 

でも想い出はしっかり残っています。
今回、箒草栽培プロジェクトを始動するにあたり、どうしても見ておきたかった場所です。

 

 

採算が取れない箒草栽培プロジェクトをなぜ続けるのか。

きっと、人との縁が育まれ、人に感謝し、人としての原点に立てるからかもしれません。
そんなことを想っています。