伊藤の退職を機に、再びほうき草栽培及びブログを担当することになりました山下です。
今後ともよろしくお願いいたします。

 

ブログ第1話をどのような内容にしようかと迷いましたが、一つの区切りとして、弊社のほうき草栽培プロジェクトの始まりを振り返りたいと思います。
ほうき草栽培プロジェクトを始めたのは2015年、創業120周年を目前に(アズマ工業の創業は1896年です)、アズマ工業が飛躍する原動力となった座敷箒についてもう一度深掘りしようというところから始まります。

 

 

そもそも座敷箒に使われている箒草の栽培は江戸時代にさかのぼります。
朝鮮通信使によってもたらされたとも言われる箒草の栽培は江戸界隈で行われ、座敷箒が隆盛を極めるにつれて、関東一円に広がります(笑い話とも受け取られるかもしれませんが、戦前車を持つことができたのは箒職人とあと誰々と言われたこともあったそうです)。

 

ところが戦後、掃除機の普及により箒は主役の座を奪われ、また、大手量販店が台頭したことで箒職人は凋落の一途を辿ります。
というのも大手量販店は、同じ規格のものを大量に仕入れることでコストを引き下げ、販売力を高めました。
ですが、腕を磨いた箒職人が作る箒は、その職人特有のものであり、生産量も対応できません。

 

 

一方、箒職人の苦難は箒草栽培の衰退にも直結します。
プロジェクトを始動した2015年においては、ほとんど箒草の栽培が行われず、箒草の種を入手することすら難しい状態でした(弊社でも、日本でのほうき草の栽培はコスト高と、そもそも担い手がいないということで、海外で箒草の栽培をせざるを得ず、1960年代後半~1970年代前半にかけて拠点を海外に移しています)。

 

箒草栽培プロジェクトを進める途中でこの状況を目の当たりにし、創業記念として始まったプロジェクトではありましたが、日本で始まった箒草の栽培を途絶えさせるわけにはいかないと思い、その後も意地で(笑)継続しています。

 

話が長くなりました。
この辺りのことは「東海道五十三次 濱松・冬枯ノ図のほうき再現プロジェクト」や「箒特集」にまとめています。
興味がございましたらぜひご一読ください。